浦賀。











僕が2年ほど暮らした町、浦賀。

先日その匂いを嗅いできた。



朝焼けとともに姿を現したのは、久里浜から浦賀湾を挟み望む

懐かしい造船町の東浦賀。

渡し船のポンポン船の姿も小さく見える。





浦賀。





当時通っていた小学校に寄ってみた。

僕はここで五十嵐勉先生からサッカーを教えてもらい、少しの友人を作った。

彼等とは釣りを通じて仲良くなり、城ケ島や猿島など多くのポイントへ

遠征したのが今でも懐かしい。





浦賀。





僕がこの町で暮らしたのは、小学5年生と6年生の2年間。

鴨居とはまた違う、大人びた同級生たちと

時間をかけながら、次第に仲好くなってゆく。





浦賀。





この頃住んでいたのは、三菱重工の浦賀クラブ内の宿舎。

既に無くなっていると想った建物は、当時のままの姿で僕を迎える。

朝6時にやってきた不審者のような僕に、管理人の方が

如何わしい者を見るような視線を投げかけてくる。





事情を説明し、敷地内を見学させて頂いた。

懐かしい。

全てが懐かしさでいっぱいだった。



いま想えばこの頃の僕は、寂しさで胸が一杯になっていた頃だったのかもしれない。

早朝ではあるものの、浦賀クラブからは多くの人が出勤してゆく。





浦賀。





この町での想い出は、あまりない気がする。

友人ができるのに、時間がかかったからか。

独りで仕掛けた籠で雀を狙い、独り山に入りノコギリクワガタや

ミヤマクワガタを捕まえる。

探検と称し、裏山で遊ぶことが多かった少年時代。





浦賀。





喘息で悩みだしたのもこの頃だ。

僕は喘息の治療をするために、独り浦賀病院へ通うようになる。

発作が出ればこの暗い病室で、粉末の出る簡易吸入器を使い

毎回病院から帰るときには、オレンジ色に白い点々が入った錠剤を

袋いっぱいにもらう。



この病院の階段の踊り場で、蜘蛛が孵る瞬間を目撃した。

まさに蜘蛛の子が僕の目の前で散った・・・



病院から家路に就く際、僕はあることを必ずしていた。

それは、京浜急行バスの後ろに回り、バスのマフラーに鼻を近づけ

独特の匂いがするバスの排気ガスを吸う。





母親と二人で東京千代田区の、九段坂病院へ行ったのもこの頃だ。

桜が咲く千鳥ヶ淵沿いを二人で歩き、いやいや九段坂病院へ向かう。

病院では背中に、32種類ものアレルギー抗体の注射を打たれた。



中学生になれば小児喘息は、治ると言われ続けたが

結局僕は25、6歳頃まで喘息に悩まされる。





浦賀。





30年ぶりにやってきた浦賀の町。

懐かしさも残るその姿に、今の僕と当時の僕と重ねてみる。

あの頃の匂いは、今の僕にとって切ないだけだった。











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この記事へのコメント
小児喘息だったんですか。同じですね。発作がでることを覚えてませんが、アトピーに変わりましたから。でも、風邪をひくとなぜか点滴やら注射やらされた記憶があります。

たくさん引っ越ししてたんですね。
あたしは他のまちに行ってみたいとおもったりしましたが…
悲しいですね。
Posted by ちえ at 2009年03月01日 06:29
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浦賀。
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